感情を味わうということ
感情を選んでいるのはじぶん。
もっと言うと、その感情を味わうために事象を引き起こしたり、解釈したりしている。
そんなことを言うと
『んなわけないやん!そんなん望んでないし!!』
って言いたくなるよね。
でもさ、本当にそうやとしたら???
一つの事象を複数人で目撃して、そこから感じることは全員同じ??
そんなことないでしょ。
ひとは起こったことを自身がみたいようにみている。
その出来事に優劣良し悪しはない。
優劣良し悪しを決めているのは紛れもなくじぶん。
もっというなら決めたことでわいてくるその感情を味わうと決めているのはじぶん。
わたしたちの魂は感情を味わうために地球にやってきた。
地球は物質世界であり、魂にはない物質的制限がある。
その物質世界を楽しむためにわれわれはここにいる。
からだという物質があるから感情を味わうことができる。
感情にも良し悪しはなくて、感じるということすべてが魂にとっての喜びなのである。
嬉しいも、悲しいも、楽しいも、悔しいも、、、ぜんぶ!!
ここではじめのお話に戻るんやけど、じぶんで解釈を決めてるってことは、じぶんで選べるってこと。
解釈を決めてるってことは、味わう感情もじぶんで決めてるってこと。
もちろん嫌だと感じることがなくなったり、いらいらを感じることがなくなったりするわけじゃない。
どの感情もみんなが持ってる感情。
当たり前に備わってる感情。
なくならない。
じゃあどうする?
何に対してじぶんがそう感じるのか分析して設定を変更すればいい。
そうすればそこで遊ぶのをやめられる。
やめるかどうかを決められる。
感情や気分の波は絶対あるもの。
でもその時間を引きずって長引かせるか、さくっと短く凝縮して次にすすむか。
決めるのはじぶん。
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