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今わからんくても全部つながってる

“ 興味のない体験でも経験としてじぶんのなかにのこることで確実にじぶんを作り上げる一部になっている ”



以前書いたこの記事についてある人と話していて↓

世界はここだけじゃないってことを知っててくれてよかった
って言ってもらった。


ところで・・・


なんでわたしはそれを知ってたんやろう??






記憶を掘り起こすと答えは確かにわたしのなかにあった。

小学生くらいかな?
わたし行きたいとかやりたいとか言ってないのに親に、色んな子供向けイベントに放り込まれてた。
興味のあるなしにかかわらず半強制的にもう決まっている予定として。


ほんまにいろいろやったなぁ。

そばの実石臼で挽いてそば打ち。
しめ縄作り。
昔ながらのたこ作り
保健所の単発料理教室。
泊りがけで白馬。
父とパソコン教室。

忘れてるだけでまだまだある気がする。

そうそう、こういう稲わらでしめ縄編むの


その他にも田舎ならではのこともいろいろある。
これがわたしの日常やったんやけど・・・

山になってる山いちごやいたどりとって食べたり、栗拾いした。
山に入って木になってるすももみたいなん食べた。
(これは所有者がいたみたいで親が謝りに行ってたww)
お米は自家栽培。
父が釣ってきた鮎を食べたり、合鴨農法で使った鴨食べたり。

学校行事でも、よくあるいも堀りはもちろん、田植え、稲刈り、川の一角を水泳場として夏には川で泳ぐ。
冬は雪がめっちゃ降るからスキーウェア着て学校行く。
そり引っ張って行ったこともあった気がするww

これはフリー素材やけどよくある光景



ちょっと本題とずれたけどそんな日常のなかで、個人的に参加させられてたイベントは外部の人や大人の人と関わることばかり。

そんな興味のない経験が、自覚はなくても、『世界はここだけじゃない』って事実を当たり前にわたしのなかに根付かせてくれてたんやって今なら思う。

そう考えると親には本当に感謝感謝で。


でさ、これって子どもに限った話じゃないやん。

ある程度じぶんで興味もつこととか好き嫌いがわかって、じぶんで選択できるようになるとどうしても興味ないことには時間費やしたくなかったりする。

でも経験は決して無駄ではなくて、確実にじぶんの一部になって、どこかしらで意思決定に影響を及ぼしていて。
じぶんのなかの当たり前をつくりあげていて。


伝わるかなぁ(>_<)


これって何の役に立つの???ってこといっぱいある。
実際そう思って『お金ないし』とかに置き換えてやらない選択したり。

それってもったいないなぁ。

今やから思う。
いや、知ってたのに忘れてただけ。
いつ何の糧になるかはわからんけど、昔のわたしみたいにそれがじぶんを救ってくれることだってある。

ちょっとあらためてじぶんを振り返ったほうがいいかもなぁ。