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「外国人が合いそう」とよく言われる件からの考察

2021-03-30

『外国人のパートナーが合いそう』

そんなふうに言われることがたまにある。
なんで?って聞くとたいてい
なんとなくって返事しか返ってこんのやけど。

パートナーとまではいかんくても
わたし自身も以前、外国人のほうが気が合うって思ってた。

でも今は一概にそうは思わん。

・・・うまく説明できるかなぁ(>_<)

結論から言っとくと、国籍とか関係なく❝いち個人❞としてどんなひとか、やと思ってる。

まず、外国人と気が合うと思ってたのは話を聞く姿勢。
というか、コミュニケーションの姿勢が日本人と違ったから。

言語が違うから
文化が違うから
自分が知ってることとは違うかもしれないって前提があるから
そのうえでコミュニケーションをとるから
『ちゃんと』受け取ろうとする。
だから違ったとしても批判したりしない。

お互いに誤解がないように伝えようとするし
ことばのニュアンスが違うかもしれないって思うし
ことばそのものじゃなくそこに乗ってる想いを受け取ろうとする。
だからわかり合いやすい。

だからお互いに「あなたはそうなんだね」ができる。
のかもしれない。

文化として
日本は「空気をよむ」ってことばもあるように
察することが美とされてる節がある。

外国ではことばにしないと理解してもらえないし
理解できないっていう前提がある。
だから日本人よりことばの扱いに長けているのかもしれない。

教育も違う。
日本の教育は社畜製造教育ってわたしは感じてるんやけど。

みんなと同じじゃないとだめ。
周りに合わせる。
浮かないように。
じぶんの意見は言わない。
苦手なことは克服しないといけない。
なんでもできなければいけない。
得意なこと一つあってもだめ。
年功序列。
自己犠牲。
じぶんの考えがあったとしてもなぜかそれに正解不正解をつけられる。
書いてて腹が立ってくる。

本当の意味でじぶんの頭で考えること。
じぶんはどうしたいのか。
考える機会を、表現する機会を奪われてる気がしてならん。
この環境やったらでいい先生に巡り合えることが将来を大きく左右しそう。

外国は
じぶんの頭で考えてじぶんの意見をもつ。
じぶんの考えを表現する。
正解はない。
だから日本人ははっきり言う外国人に対して苦手意識があるんじゃないかな?
だからじぶんの意見を持ってるひとは外国人のほうが合うとか言うんじゃないかな?

あ、じゃあわたしは「わたしはこう思う」ってのを言えてるってことか?
ずばずばもの言ってるつもりはないけどそうとも言われるし。
外国人の友達と話したり、
それぞれ話してたりするの聞いてたら
絶対と言っていいほどじぶんの意見ってもんを持ってる。
だからよく白熱したディスカッションを目撃する。
だから「わたしはどうかな?」って考えるように意識するようになった。

もうひとつ言うと「合う」「合わない」はない。
占いとかで好きな人とは相性悪いって言われたところでやめれる?
やめれんくない?
占いは決定権を渡すものじゃないから。
質が全然違って壊滅的に合わないかもしれないけど、
一緒にいたいなら
『どうやって心地よく一緒にいるか』
に頭使うほうが建設的でしょ。
離れる選択肢がないとも言わんけど。

人付き合いも仕事も一緒じゃないかなぁ。
一緒にいたいなら。
その場所で働きたいなら。


そんなふうに考えてるとやっぱり、国籍とか人種とか関係ない。
そのひとがどういうひとであるかってことだけ。
日本人であろうと外国人であろうと個人の在り方の違いだけ。

世界中で人種がどうとか国がどうとか言われてるけど
それさえ個人の在り方の問題。
まぁ在り方も含めなんでも数が多いってのは脅威になるとは思うけど。


まずじぶんを認めて、他人を認められるそんな世界でわたしは生きたいと思う。